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高松地方裁判所観音寺支部 昭和52年(ワ)14号 判決

原告

横山孝博

被告

岑永末夫

主文

被告は、原告に対し、金二三九万九一〇〇円およびこれに対する昭和五一年六月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

この判決は、原告が金六〇万円の担保を供するときは、一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は、原告に対し、金一一三一万七一七五円およびこれに対する昭和五一年六月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四八年一二月一五日午後五時四五分ころ

2  場所 香川県三豊郡山本町大字神田四三〇九番地の一先路上

3  加害車 軽四輪乗用車(八八香あ五二四号)

右運転者 被告

4  被害車 普通乗用自動車(タクシー。香五五あ二六号)

右運転者 原告

5  態様 原告が交通渋滞のため停車していたところ、後方から進行してきた加害車が追突した。

二  責任原因

1  運行供用者責任(自賠法三条)

被告は、加害車を保有し、自己のため運行の用に供していた。

2  一般不法行為責任(民法七〇九条)

被告は、前方注視を怠り、そのため本件事故を発生させた。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一) 受傷

原告は、本件事故によつて、むち打ち症、両神経性耳鳴、両眼外傷性視神経炎の傷害をうけた。

(二) 治療経過

(1) 昭和四八年一二月一六日から昭和四九年一二月二八日まで加地病院に入院

(2) 昭和四九年一二月二九日から昭和五一年五月三一日まで同病院に通院

(3) 昭和四九年六月二〇日から昭和五一年六月一〇日まで加藤耳鼻咽喉科医院に通院

(4) 昭和五〇年一月二二日から昭和五一年五月三一日まで田中眼科医院に通院

(5) 昭和四九年九月二日香川労災病院で検査

(6) 昭和四九年八月三一日から同年九月七日まで香川労災病院に通院

(7) 昭和五一年一〇月四日から同年一一月一日まで回生病院に通院

(三) 後遺症

原告の前記傷害は、完治せず、昭和五一年五月三一日症状が固定し、自賠法施行令二条別表の第一二級相当の後遺障害がある。

2  治療関係費 六四万六五二〇円

(一) 治療費 小計二八万〇一四〇円

加地病院分 二七万九九四〇円

香川労災病院分 二〇〇円

他にも、自賠責保険、健康保険、労災保険で支弁された治療費があるが、これは請求しない。

(二) 入院雑費 一八万九〇〇〇円

入院期間三七八日につき一日あたり五〇〇円の割合による。

(三) 通院交通費 一五万一三八〇円

通院中はタクシーを利用し、右金額を支払つた。

(四) 治療用具代 二万六〇〇〇円

田中眼科医院の指示により眼鏡を購入した。

3  逸失利益 九六二万四二五五円

(一) 原告は、本件事故当時、株式会社河田タクシーに運転手として勤めるかたわら、農作業に従事していた。

(二) 原告は、本件事故により、昭和四八年一二月一六日から昭和五一年五月三一日までの八九八日間、前記会社を休業し、農作業にも従事できなかつたので、次のとおりの収入を失つた。

(1) 基本給与は、事故前三か月の一日あたりの平均額が三五六二円である。

(イ) 昭和四八年一二月一六日から昭和四九年一月二九日までの四五日間につき、一日あたり三五六二円の割合による一六万〇二九〇円。

(ロ) 昭和四九年一月三〇日から同年二月二八日までの三〇日間につき、一日あたり三九二三円(右三五六二円に臨時昇給三六一円を加えた額)の割合による一一万七六九〇円。

(ハ) 昭和四九年三月一日から同年一一月二七日までの二七二日間につき、一日あたり四五四七円(右三九二三円に定期昇給六二四円を加えた額)の割合による一二三万六七八四円。

(ニ) 昭和四九年一一月二八日から昭和五〇年二月二八日までの九三日間につき、一日あたり四七二七円(右四五四七円に臨時昇給一八〇円を加えた額)の割合による四三万九六一一円。

(ホ) 昭和五〇年三月一日から昭和五一年二月二九日までの三六六日間につき、一日あたり五二六七円(右四七二七円に定期昇給五四〇円を加えた額)の割合による一九二万七七二二円。

(ヘ) 昭和五一年三月一日から同年五月三一日までの九二日間につき、一日あたり五七三七円(右五二六七円に定期昇給四七〇円を加えた額)の割合による五二万七八〇四円。

以上(イ)ないし(ヘ)の計は、四四〇万九九〇一円である。

(2) 有給手当は、買取制度になつていたところ、八〇パーセント以上の勤務がなかつたので、次のとおり買取額を失つた。

(イ) 昭和四八年度 六七一六円

(ロ) 昭和四九年度 六万〇四四四円

(ハ) 昭和五〇年度 三万三〇五九円

(ニ) 昭和五一年度 一万六〇六八円

以上(イ)ないし(ニ)の計は、一一万六二八七円である。

(3) 年間臨時給与を次のとおり失つた(昭和五一年も八〇パーセントの出勤ができなかつたので、全額を失つた。)。

(イ) 昭和四九年夏季 一四万一〇〇〇円

(ロ) 同年年末 一四万一〇〇〇円

(ハ) 昭和五〇年夏季 一六万四〇〇〇円

(ニ) 同年年末 一六万四〇〇〇円

(ホ) 昭和五一年夏季 一六万九〇〇〇円

(ヘ) 同年年末 一六万九〇〇〇円

以上(イ)ないし(ヘ)の計は、九四万八〇〇〇円である。

(4) 祝儀、チツプ等通常の臨時収入を失つた。これは、通常の稼働で少なくとも月額一万八〇〇〇円は見込めるので、右の割合による八九八日間分は五三万一四一九円となる。

(5) 原告は、父親所有の農地を父親に代つて耕作し、父親から年額四二万五〇〇〇円の報酬を得ていたところ、本件事故により耕作できなくなつた二年五か月につき、右割合による一〇二万七〇八〇円の報酬を失つた。

以上(1)ないし(5)の計は、七〇三万二六八七円である。

(三) 原告は、昭和五一年六月一日から前記会社に出勤したが、本件事故による後遺障害と長期欠勤とにより、次のとおり収入を失う。

(1) 昭和五一年六月および七月の給与につき、本来得られた収入は一日あたり五七三七円の割合による六一日分の三四万九九五七円であるはずのところ、現実には、同年六月は七万二九一三円、同年七月は九万四四四五円の支給をうけたにとどまり、右二か月の収入減は一八万二五九九円である。

(2) 給与中には、年功に応じて支給される年功手当があるが、欠勤期間の年数分の加算が得られないため、現在八〇〇円の差額が生じており、右の差額八〇〇円は、定年退職時である昭和六八年五月三一日(原告は、昭和一二年六月二〇日生まれであり、五五歳定年満了は昭和六八年六月一九日であるが、計算の便宜上繰り上げた。)までの一七年間継続する。この損害額は、一一万五九三八円である(複式ホフマン式による。)。

(八〇〇(円)×一二(月)一二・〇七六九=一一五、九三八(円))

(3) 有給休暇は、本件事故による欠勤のため、年間で四日少なくなり、この減日数は、定年退職時まで続き、この損害額は、一七万二〇七一円である(複式ホフマン式による。)。

(三、五六二(円)×四(日)×一二・〇七六九=一七二、〇七一(円))

(4) 長期欠勤のため、欠勤者の予備要員に格下げとなり、そのため、毎回車両整備を義務づけられて正味走行時間が低下している。この減収は、少なくとも一月あたり一万五〇〇〇円を下ることはなく、少なくとも三年間はこの状態の続くことが必至である。この損害額は、四九万一五八〇円である(複式ホフマン式による。)。

(一五、〇〇〇(円)×一二(月)×二・七三一〇=四九一、五八〇(円))

(5) 退職金について、欠勤期間分の減額は、一六万七三〇〇円であり、右額の一七年先支給時から中間利息を控除すると九万〇二六三円となる(複式ホフマン式による。)。

(一六七、〇〇〇(円)×〇・五四〇五=九〇、二六三(円))

(6) 後遺障害による労働能力低下は一四パーセントであり、昭和五一年八月一日から少なくとも五年は続くので、この損害額は、一五三万九一一七円となる(複式ホフマン式による。)。

((五、七三七(円)×三六五+四二五、〇〇〇(円))×〇・一四×四・三六四三=一、五三九、一一七(円))

以上(1)ないし(6)の計は、二五九万一五六八円である。

4  慰藉料 三五〇万円

入通院治療分として二〇〇万円、後遺障害分として一五〇万円が相当である。

四  損益相殺 一七七万円

1  原告は、自賠責保険から後遺障害補償として一〇四万円を受領した。

2  原告は、被告から七三万円の支払いをうけた。

五  本訴請求

よつて、以上の損害額一二〇〇万〇七七五円のうちの一部請求をなし、請求の趣旨記載のとおりの判決(付帯請求は、民法所定の年五分の割合による遅延損害金であり、症状固定日の翌日である昭和五一年六月一日から求める。)を求める。

第三請求原因に対する認否

一は認める。

二は、1のうちの被告が加害車を保有していたことは認めるが、その余は争う。

三は不知もしくは争う。なお、本件交通事故と相当因果関係のある傷害の範囲について争う。

四は認める。ただし、被告の弁済金は六三万円(自賠責保険請求を除く。)である。

第四被告の主張

本件事故による損害については、原告の自認分以外に、自賠責保険から八〇万円の支給がなされている。

第五証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因一の事実は、当事者間に争いがない。

二  責任原因

被告が加害車を保有していたことは当事者間に争いがなく、被告本人の供述によれば、被告は、本件事故当時、加害車を運転して妻を迎えに行く途中であつたことが認められ、以上の事実を考えあわせると、被告は本件事故当時加害車を自己のために運行の用に供していたものと認められるから、被告には自賠法三条によつて本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

三  損害

1  受傷、治療経過等

(一)  受傷

原告本人の供述とこれによつて真正に成立したものと認められる甲第二号証の一、第三号証の一、成立に争いのない乙第一号証、第一〇号証、証人加地重博、同丹羽信善の各証言によれば、原告は本件事故によつてむち打ち症(頸椎捻挫あるいは頸椎挫傷)の傷害をうけたことが認められる(この内容程度は後述する。)。

原告本人の供述とこれによつて真正に成立したものと認められる甲第二号証の二、第三号証の二、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第二七号証、証人加地重博の証言によれば、原告には本件事故によつて両神経性耳鳴の症状が生じたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告本人の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第二号証の三、第三号証の三、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第二八号証には、いずれも昭和五〇年一月二二日ころ原告には両眼外傷性視神経炎の症状があつた旨の記載があり(甲第二号証の三、第三号証の三には、右症状の発病日として昭和四八年一二月一五日が記入されている。)、右の症病名の意味するものは、その記載から、外傷(本件事故による受傷)による視神経炎と一応理解できるけれども、乙第二八号証中には、このほかに両眼近視性乱視、両眼精疲労の症状の記載があり、証人丹羽信善の証言中の、右の各症状は近視性乱視によるものと考えて十分に説明がつく旨の証言部分に照らすと、右の各証拠によつては右視神経炎と本件事故との間の因果関係を認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(二)  治療経過

前掲甲第三号証の一ないし三、原告本人の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第四号証の三、第五号証の四、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第二九号証によれば、原告は、請求原因三の1の(二)のとおり、それぞれ入、通院したことが認められる(ただし、前述のとおり、外傷性視神経炎等は本件事故による傷害とは認め難いから、田中眼科医院への通院は、本件事故による受傷のためのものとは認め難い。)。しかし、回生病院への通院は、後述の症状固定後のものであるから、その必要性につき特段の事情の認められない本件においては(原告本人は、加地重博の指示で回生病院へ通院したと供述するが、にわかに措信し難い。)、その必要性を認め難い。

(三)  むち打ち症の内容程度と症状の固定

前掲甲第二号証の一、第三号証の一、乙第一号証、第一〇号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第一一ないし第一六号証、証人丹羽信善の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第二五号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第二六号証の一ないし三、第二九号証、証人加地重博の証言、原告本人の供述、弁論の全趣旨、経験則によれば、原告のむち打ち症は直ちに入院を必要とするというものではなく、原告が加地病院に入院したのは、仕事(タクシー運転手)ができないという原告側の事情が主たる理由であること、加地病院において治療中の原告の症状は、頸痛、背痛、腰痛、頭重、右顔面しびれ感、右上肢脱力感、めまい、耳鳴、頸部運動制限(右、後方屈曲が不十分)などであつたが、他覚的所見が乏しく、昭和四八年一二月一六日実施の頸椎レントゲン検査では、頸椎自体には異常な所見は認められず、頸痛の訴えは、漠然と平手で頸部を押えて指示する程度で圧痛点はなく、頸部の運動制限も、生理的に曲がらないのではなく、ある程度曲げると痛いのでそれ以上は曲げないというものにすぎず、さらに、昭和四九年九月二日実施の脳波検査の診断もほぼ正常範囲内であつたこと、そして、右の諸症状は、加地病院入院時の初めの数か月間において強く、昭和四九年四月九日ころまでには相当軽快し、以後においては新しい症状は現われず、ただ右の諸症状を訴える程度に波があるだけとなり、加地重博の退院させて差しつかえないとの診断があつたうえ、原告からも退院の申出をして昭和四九年一二月二八日に退院し、以後通院治療を続け、その後も依然として愁訴に起伏があつたものの、昭和五〇年七月ころからは殆んど症状に変化はみられず(加地病院の昭和五〇年七月、九月、一一月分の診療費請求内訳書には、傷病の経過欄に中止予定と記されている。)、昭和五一年五月三一日ころ右症状は固定し、右諸症状が後遺症として残つたこと、右の諸症状の訴え(発現)には、原告の性格(心因的要素)が相当程度寄与していること、そして、それが治療期間の遷延に関与していることが認らめれ、原告本人の供述中、右認定の程度以上に症状が重かつたとする供述部分(たとえば昭和四九年六月二〇日ころ意識消失をきたしたという部分)や右認定に反する供述部分はにわかに措信し難い。

ところで、前掲乙第二五号証や証人丹羽信善の証言中には、原告の症状は昭和四九年三、四月ころに固定したとみるのが妥当である旨の記載部分や証言部分があり、さらに、前掲乙第一号証と証人加地重博の証言によれば、原告の治療を実際に担当した加地重博自身、昭和四九年四月九日の時点で、以後約一か月の通院によつて症状固定と考えても差しつかえない旨の診断を下したことが認められる。しかし、加地重博の右の診断は確定的なものとは解せられないばかりか、その後も約二年間にわたつて同人が原告に対する治療を継続していることや右時点よりも後に同人が作成した診断書(甲第二号証の一、第三号証の一、乙第一〇号証)によつて右診断は撤回されたことが明らかであるし、丹羽信善は、原告を診察、治療したことはなく、被告訴訟代理人から与えられた不十分な資料を基礎にして一般論の立場から前記判断をなしており、しかもその判断の根拠が必ずしもはつきりしない(原告を入院させず、適切でないと考えられる治療を行なわず、その経過も順調であつたならば、初診時の所見やその後の検査成績からみて約三週間で全治したことも考えられるが、日常の診療では理想的な治療が行なわれるとは限らないのでゆとりをもつて昭和四九年三、四月をもつて症状固定とみるのが妥当かも知れないといつた程度)から、乙第二五号証や証人丹羽信善の証言のうちの右の各部分によつて、約二年半にわたつて原告の治療に従事した加地重博の判断(これは、前認定のとおりの内容である。)を覆すには躊躇せざるをえず、他に症状固定の時期に関する前認定を覆すに足りる証拠はない。

2  治療関係費 四五万三六四〇円

(一)  治療費 二六万四六四〇円

原告本人の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第四号証の二、三によれば、原告は加地病院の入院室料として二六万四四四〇円を、香川労災病院における検査につき二〇〇円をそれぞれ支払つたことが認められる。

原告本人の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第四号証の一によれば、原告は診断書料として一万五五〇〇円を加地病院に支払つたことが認められるけれども、右の金額はとうてい相当な額とは認められず、また、右額のうち相当な実費の額を認めるに足りる証拠はないから、右の全額につき認容することはできない。

(二)  入院雑費 一八万九〇〇〇円

経験則によれば、原告は加地病院に入院した三七八日間につき一日あたり五〇〇円の割合による計一八万九〇〇〇円の入院雑費を要したことが認められる。

(三)  通院交通費

原告本人の供述によつて真正に成立したものと認められる甲第五号証の一ないし三および五によれば、原告は交通費として計一五万一三八〇円のタクシー代を支出したことが認められるけれども、昭和四八年一二月一六日から昭和四九年六月三〇日までの分三万四五八〇円(甲第五号証の一)のうちには(仮に加地病院と原告宅との往復分を治療に関して必要な費用であつたとみても)、治療関係以外の用途の分も含まれていることが認められ、右治療関係分の費用を他と区別して認定することができず、原告方から加地病院や香川労災病院への往復分の一〇万九八〇〇円(甲第五号証の二、三)については、通院にタクシーを利用しなければならない必要性を認めるに足りる証拠はなく、坂出駅と回生病院の往復分七〇〇〇円(甲第五号証の五)は、そもそも回生病院への通院の必要性を認め難いので、結局、右のすべてについてこれを認容することができない。

(四)  治療用具代

原告本人の供述とこれによつて真正に成立したものと認められる甲第六号証によれば、原告は眼科医田中淳一の指示によつて眼鏡を購入し、その代金二万六〇〇〇円を支出したことが認められるけれども、本件事故による受傷の結果右眼鏡の購入が必要になつたことを認めるに足りる証拠はない(三の1参照)から、右費用は本件事故による損害ということはできない。

3  逸失利益 三六四万五〇七五円

(一)  証人河田正行の証言とこれによつて真正に成立したものと認められる甲第七号証の一、二、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第三五号証、原告本人の供述によれば、原告は、本件事故当時株式会社河田タクシーに運転手として勤めていたこと、同会社における原告の昭和四八年九月から同年一一月までの三か月間の本給(基本給のほかに年功手当、歩合給等を含む。)の平均は一日あたり三五六二円であつたこと、同会社では、タクシー運賃の暫定的値上げによつて昭和四九年一月三〇日から歩合給(手当)が月額一万一〇〇〇円、定期昇給によつて、昭和四九年三月一日から月額一万八九九〇円、新運賃正式決定によつて昭和四九年一一月二八日から歩合給(手当)が月額五五〇〇円、定期昇給によつて昭和五〇年三月一日から月額一万六五〇〇円、同じく定期昇給によつて昭和五一年三月一日から月額一万四三〇〇円それぞれ昇給したこと、右の昇給のうち定期昇給分は全従業員につき一律に実施されるものであること、運賃の値上げに伴う歩合給の昇給分は、必ずしも明確ではないが、従業員の平均額と解されること、同会社の歩合給は、月の水揚げが二四万円を超える分につきその三〇パーセントを支給される建前になつており、原告の水揚げは同会社の従業員の平均以上であつたから、原告は右の歩合給の平均昇給額程度の昇給を得ることができたといえること、原告の臨時給与(賞与にあたる。)を、原告の事故前の勤務成績を基礎にして右の賃金上昇に応じて算出してみると、昭和四九年度の夏季および年末とも一四万一〇〇〇円になることが認められる。

さらに、原告本人の供述とこれによつて真正に成立したものと認められる甲第八号証の一、二、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第二四号証、証人豊田貞雄の証言、経験則を総合すれば、原告は、父親が稼働することができないため、株式会社河田タクシーに勤めるかたわら、朝夕や休日には農作業に従事して母親とともに父親所有の農地を耕作していたこと、そして、昭和四八年度に右農地から収穫した米麦を観音寺農業協同組合に販売した売上額が合計四四万七三三五円(米が四一万〇八〇七円、麦が三万六五二八円)であつたことが認められる。そして、右認定の農作業従事者、原告の従事時間のほか、農作業が機械化されていること(これは、原告本人の供述によつて認められる。)などを考えあわせると、右農業収入に対する原告の寄与分は七割とみるのが相当と認められ、これに反する甲第八号証の二や証人豊田貞雄の証言(いずれも一部)は措信し難い。また、米作の経費が売上高の三五パーセントであることは当裁判所に顕著であり、昭和四八年度の売上高の大部分が米の販売によるものであるから、右年度の農業純益を四四万七三三五円の六五パーセントとして(こう計算しても、原告の農業に関する労働能力の評価が不相当なものにはならないと解せられる。)、原告の農業に関する労働能力(寄与分)を金銭的に評価すると二〇万三五三七円(四四七、三三五×〇・六五×〇・七)となり、これに反する甲第八号証の二はにわかに措信し難い。

(二)  休業損害 三二一万七五〇三円

三の1で認定した受傷の内容程度、治療経過等によれば、原告は、本件事故により、加地病院に入院した昭和四八年一二月一六日から昭和四九年一二月二八日までの間は休業を余儀なくされ、同病院を退院した翌日の昭和四九年一二月二九日から症状固定日の昭和五一年五月三一日までの間は通じてその労働能力を三五パーセント喪失し、その間合計三二一万七五〇三円の収入を失つたことが認められる(別紙計算表一参照)。

(三)  将来の逸失利益 四二万七五七二円

三の1で認定した後遺障害の内容程度等によれば、原告は右後遺障害のため昭和五一年六月一日から少なくとも二年間その労働能力を一〇パーセント喪失するものと認められるから、その将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると四二万七五七二円となる(別紙計算表二参照)。

なお、原告は、加地病院への通院期間である昭和四九年一二月二九日から昭和五一年五月三一日までの間も休業を余儀なくされたとして得べかりし利益の全額を損害として請求しているけれども、前認定のむち打ち症の内容程度や治療経過等に、証人丹羽信善の証言中の、退院後は社会復帰させるべきである趣旨の証言部分や、現に、原告は昭和五一年六月一日に職場復帰して以降昭和五二年八月末に退職するまでの間、一か月に二〇数日ずつ勤務して通常の勤務(ただし、復帰当初は、電話係をしたり宿直勤務を免除してもらつたりして、勤務内容は軽減されていた。)をこなしていること(これは、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第三六、第三七号証、証人河田正行の証言を総合して認める。)を考えあわせると、原告は右の通院期間を通じて稼働できなかつたものとは認め難い(この点に関連する成立に争いのない甲第九号証は、加地重博作成の証明書で、その内容は昭和五二年八月ころ原告には眩暈症等がありタクシー会社勤務は不都合と思われるというものになつているが、証人加地重博の証言によれば、同人は、原告の訴えるめまい等の症状が医学上存在しうるものであることから、その存在を客観的に把握することなく、原告の訴えどおりの症状があることを前提にしたうえで判断をなして右証明書を作成したことが認められるから、甲第九号証はにわかに措信し難い。)。このほか、原告は、原告の主張する休業期間中に有給手当、臨時給与、祝儀やチツプ等の臨時収入を失つたとし、さらに、右の約二年半に及ぶ長期欠勤によつて、右欠勤がないときに比べて、年功手当や退職金は減額になるし、有給休暇の日数は少なくなり、そのうえ予備要員に格下げされ正味走行時間が短縮するので収入が減少するとしてこれらの損害をも請求している。しかしながら、有給休暇は原告において農作業を行なうのに消化する蓋然性が高く(甲第八号証の一参照。なお、証人河田正行の証言によれば、株式会社河田タクシーでは有給休暇の買取制度はないことが認められる。)、その他の損害(ただし、昭和四九年度の夏季と年末の臨時給与は前認定のとおり認容した。)は、いずれも入院期間以外に昭和四九年一二月二九日から昭和五一年五月三一日までの通院期間も就業が不可能であつたことを前提とする損害(額)であるから、その前提に問題があり、しかも、休業が余儀ないと認められる入院期間の欠勤にもとづく右の各損害額を認めるに足りる証拠はない(祝儀やチツプ等の臨時収入、予備要員への格下げによる収入減については、そもそもその額を的確に把握するに足りる証拠がない((甲第七号証の二や証人河田正行の証言のうちこれに該当する各部分は措信し難い。)))から、結局、右の各損害の請求はいずれも認容することができない。

4  原告の心因的要素

前認定のとおり、原告の自覚症状の発現には原告の心因的要素が寄与し、それが治療期間の遷延に関与していると認められるので、損害額の算定については右の心因的要素の寄与度を考慮すべきであるところ、むち打ち症の内容程度、治療経過等に証人加地重博の証言を考えあわせると、右寄与度を三〇パーセントとみるのが相当であると考えられる。すると、右2、3の損害額のうちの七〇パーセントにあたる二八六万九一〇〇円が、原告が被告に対して賠償を求めうる損害額ということになる。

5  慰藉料 一二〇万円

本件事故の態様、原告の傷害の内容程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、原告の前記心因的要素その他諸般の事情を考えあわせると、原告が被告に対して請求しうる慰藉料額は一二〇万円とするのが相当であると認められる。

四  損益相殺

原告が、自賠責保険から後遺障害補償として一〇四万円の、被告から少なくとも六三万円の各支払いをうけたことは、当事者間に争いがない。

被告本人の供述によつて真正に成立したものと認められる乙第三号証、成立に争いのない乙第四ないし第八号証、被告本人の供述、弁論の全趣旨によれば、被告は、原告に対して計八三万円支払つたが、自賠責保険から二〇万円の給付をうけたので、結局被告の出捐額は六三万円となること、原告は、自賠責保険から右一〇四万円のほかに八〇万円(これには右の二〇万円も含まれる。)の給付をうけたこと、右八〇万円は、本訴において請求していない治療関係費に充てられたことが認められる。

してみると、結局、損益相殺されるべき金額は一六七万円となり、原告の前記損害額三の4、5の合計四〇六万九一〇〇円から右一六七万円を差し引くと、残損害額は二三九万九一〇〇円となる。

五  結論

よつて、被告は、原告に対し、二三九万九一〇〇円およびこれに対する本件不法行為の日の後である昭和五一年六月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎宏)

計算表一

1 株式会社河田タクシー関係分

(一) 入院期間(48.12.16~49.12.28)

(1) 48.12.16~49.1.29(45日間)

3,562×45=160,290………(1)’

(2) 49.1.30~49.2.28(30日間)

月額11,000の昇給を1日分に直して計算

11,000×12÷365=361

3,562+361=3,923

3,923×30=117,690………(2)’

(3) 49.3.1~49.11.27(272日間)

月額18,990の昇給を1日分に直して計算

18,990×12÷365=624

3,923+624=4,547

4,547×272=1,236,784………(3)’

(4) 49.11.28~49.12.28(31日間)

月額5,500の昇給を1日分に直して計算

5,500×12÷365=180

4,547+180=4,727

4,727×31=146,537………(4)’

(5) (1)’+(2)’+(3)’+(4)’=1,661,301

(二) 通院期間(49.12.29~51.5.31)

(1) 49.12.29~50.2.28(62日間)

4,727×62=293,074………(1)’

(2) 50.3.1~51.2.29(366日間)

月額16,500の昇給を1日分に直して計算

16,500×12÷366=540

4,727+540=5,267

5,267×366=1,927,722………(2)’

(3) 51.3.1~51.5.31(92日)

月額14,300の昇給を1日分に直して計算

14,300×12÷365=470

5,267+470=5,737

5,737×92=527,804………(3)’

(4) (1)’+(2)’+(3)’=2,748,600

(5) 2,748,600×0.35=962,010

(三) 昭和49年度の夏季および年末の臨時給与

141,000+141,000=282,000

(四) 以上の合計

1,661,301+962,010+282,000=2,905,311

2 農業関係分

(一) 入院期間(48.12.16~49.12.28)1年13日

203,537+203,537÷365×13=210,786

(二) 通院期間(49.12.29~51.5.31)1年155日

203,537+203,537÷366×155=289,734

289,734×0.35=101,406

(三) 以上の合計

210,786+101,406=312,192

3 1の(四)と2の(三)の合計

2,905,311+312,192=3,217,503

計算表二

(5,737×365+203,537)×0.1×1.861=427,572

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